ingakouryuu’s blog

心象スケッチ

幼少期

我がまま

兄は流行りの合体ロボ、ブリキのサンダーバード2号、プラレール、大量のガンプラ、ワルサーP38、44マグナムのモデルガンを持っていた。私の不注意でプラモデルを棚から落下させてしまいビームサーベルを折ってしまったことがある。いつまでも愚痴を言われた…

もう一度食べたい

母が作る手料理で一番好きだったのが、ホルモン。味付けホルモンを大量の白菜と一緒に煮込むだけの料理でよく作ってくれた。ホルモンも白菜もおいしい。台所から独特の匂いが漂ってくると「ホルモンだ!」と言って喜んだ。出来上がったホルモンはプラスチッ…

冬は丸くなる

母が押し入れから布団を出して敷く。 二枚の敷布団を横向きに使い、その上に母を真ん中に川の字になって寝る。 夏は朝起きると敷布団と敷布団の間に隙間ができてお尻がはまっていることがある。 冬は敷布団の上に毛布を被せる。 毛布の端はめくれないように…

彼岸花

燃えるような色と不思議な形の花に興奮して見とれていると、 母が「あの花には毒があるから触っちゃだめだ」と言う。 毒があると聞くと花火のようなきれいな形と鮮やかな色がかえって不気味に見える。 今は秋の楽しみの一つになっている。 気候が変わってき…

腎臓病

兄は幼い頃、腎臓病で入院していた。 原因は塩分の取り過ぎだった。 入院中は全粥の食事をしていたが、母はそれではまずいだろうと思い、 こっそり持ってきた醤油をおかゆにかけてくれたと兄は言っていた。 私は真っ白なベッドで寝ている兄が羨ましくて、 兄…

雷が鳴ると暑くても腹巻をして、へそを取られないように隠していた。雷がどうやってへそを取りに来るのかわからない。電球の下が危ないと思った兄は、ゴッドマーズやガンダムのプラモデル数体を電球の下に内側に向けて弧を描くように配置して「もし雷が来た…

弁当

私が幼稚園に通っている時、母は工場のバスに迎えに来てもらい仕事に行っていた。母の仕事が幼稚園の近くにあったため、私もそのバスに特別に乗せてもらっていた。帰りは二人で長い道のりを歩いて帰る。朝、母と私は待ち合わせ時間にぎりぎりで、よくバスを…

しつけ

母のしつけは行き過ぎる時があった。まだ小学校低学年だったか、着物に使う腰ひもを使って兄の手足を縛ると押し入れに閉じ込めたことがある。どんな悪いことをしたのかわからなかったが、傍にいた私は兄がかわいそうだからやめてほしいと訴えたが母の怒りは…

満員電車

ぎゅうぎゅうの車内の中、母と私はドアから離れた通路の真ん中にいた。小さかった私は暑くて苦しくて息苦しさにがまんができなくなり力いっぱい暴れた。しかし圧迫された状態でのもがきは、よけいに苦しさを増すだけだった。なぜなら限界までもがいても圧迫…

先に逝くこと

母の四十九日が無事に終わった。身近な人が先に逝くことで残された人にも死ぬ覚悟ができるのか。 二十歳頃まで風呂なしの府営団地に住んでいた。銭湯生活が長く、子どもの時には溺れかけたこともあった。小学校低学年の頃だったか、立っていても顎のラインぎ…

幼い頃の疑問

幼い頃、自分の体を不思議に思っていた。 皮膚から漂う匂いを嗅ぎ、 心臓や呼吸に意識を集中しては、 自らの意思ではどうにもならない力に不安を抱き、 母に死とは何かを泣きながら質問することが度々あった。 その時、母が安心するような答えを教えてくれな…