ingakouryuu’s blog

心象スケッチ

眩しい光景

 

2016年、お義母さんに肺がんが見つかる。冬に咳が続いて風邪にしては長引いていると思い、何気に帰省先の病院を受診する。レントゲンで肺がんの可能性を言われ、帰宅後、大きな病院での精密検査をした。今後の治療方法の説明日、彼は仕事で出席できないというので、お義父さん、お義母さん、お義兄さんと私の四人で先生の説明を聞く。私は事前に肺がん治療の最新の本を購入して、何かあれば先生に質問ができるようにしていた。

 

説明は休憩を挟んで前半と後半に分かれていた。休憩中、お義母さんは父も母も長生きで健康なのに私が肺がんになるなんてと、まだ少し信じられない様子だった。お義兄さんはうちの家系は皮膚が弱いからと、足に残った何かの傷痕を見せて「元に戻る方法を忘れるみたい」と言う。私はずっと言いたいことがあった。先生の説明中も質問したいことがあった。しかし、いくら日頃から緊張緩和の道化師役を好きでやっているとはいえ、一言も声を発することができなかった。

 

待合室からお義父さんが少しだけいなくなった時、ここだと思い、カバンからたくさん付箋を付けた肺がんの本を取り出す。そして肺がんの原因として考えられる副流煙のページを開けて「これが気になる」とお義母さんとお義兄さんに見せる。お義父さんはスペインで暮らしている時から酒と煙草が大好きで、今も煙草を吸いに行っている。お義父さんに言うには相当な気遣いが必要である。下手をするとお義父さんまで病気になってしまいかねない。先生ですら口に出さなかったこと、お義父さんから常に漂っている煙草の匂いに、あの狭い部屋で先生が気づかないはずがない。お義母さんは私が持ってきた本を読ませてほしいと言い、お義兄さんは父さんには僕から伝えると言ってくれた。

 

お義父さんが後半の説明を聞くために待合室に戻って来ると、私が遅れて出勤する仕事を気にしてか、もう帰っていいよと言ってくれる。しかしお義母さんとお義兄さんが私を引き留めるので、お義父さんはきょとんとしていた。

 

肺がんのステージはⅡの初期、種類は腺がん。肺の四分の一を切り取ることになる。手術当日は彼も仕事を休んだ。お義母さんは家族全員を一人ずつ抱きしめて手術室に入って行く。その後、お義父さんはお義母さんの愛用している枕を取りに家に戻り、お義兄さんと彼は二人で電車に乗って駅前の家電量販店まで空気清浄機を買いに行く。私は待合室で何時間も一人だった。トイレに行くのも詰め所に一声かける。とりあえず持ってきた仕事をせっせとしていた。看護師の方が他の人はどこに行ったのか聞いてきたので、緊張して外の空気を吸いに行ったと誤魔化す。もしも何かあったらと考えると一人でどうしたらいいのか不安になった。

 

手術は予定通りに無事に終了。切り取った肺を見せてもらい、どこが癌だったのかを説明してもらう。四分の一は思っていたよりもずっと大きくて、その塊に動揺した。再び待合室で呼ばれるまで待っている間、親指から人差し指か、それとも小指までだったかと切り取られた肺の大きさをお義兄さんと彼が話している。私はちょうど仕事で必要だったので持ち歩いていた30センチの物差しをカバンから取り出して彼に渡すと、それを見ていたお義父さんが吹き出し笑いをした。何が面白かったのだろう。

 

それから念入りに手の消毒をして集中治療室に入る。お義兄さんは急ぎ足でお義母さんの傍に行くと、顔を覗き込み、うんうんと頷いている。その光景があまりにも眩し過ぎて目頭が熱くなった。お義父さんはさっきスマホで撮った切り取った肺の写真をお義母さんに見せようとカバンをごそごそしていた。彼は消毒した手が汚れるからやめろとお義父さんに注意をすると、何か隅で言い合いが始まる。お義母さんはまだ意識が朦朧としていてこの時のことは何も覚えていない。

 

五年後の生存率は80%、私は80%もあると喜んだがお義母さんは80%しかないのかと落胆する。お義母さんは術後の抗がん治療で一度だけしんどいことを私に打ち明けたことがある。私は何を言ったらいいのかわからなかったが、お義母さんは凄いものをもっていると、あの集中治療室で見た眩しい光景を伝えると受話器の向こうが静かになった。

 

 

もうすぐ五年になる。経過は順調。明るくて元気で太陽のようなお義母さん、インドやモロッコと海外旅行が好きで、今は趣味のガーデニングを楽しみ、フラメンコ教室の講師も続けている。

 

まだまだ長生きしてほしい。