ingakouryuu’s blog

心象スケッチ

入院事③

兄に頼まれた新刊、兄がこれを読むために意識を取り戻したような気がして今でも巻数と表紙が脳裏に焼き付いている。驚くことに兄は飛び降りたことも集中治療室で新刊を頼んだことも記憶にない。私が新刊を持って行くと「よく知っていたな」と驚いていた。過去の記憶が部分的に無くなっているのも、やはり少しは頭を打っていたせいかもしれない。年を追うごとに少しずつ記憶が戻ってきているようで、今でも確認するように私に話すことがある。

 

兄のケガは順調に回復していく。私は家にある数千冊の漫画本を適当に見繕っては学校が終わると漫画本の入れ替えに入院している兄のもとへ行く。妹からすれば兄は近すぎてピンボケしているためよく見えないのだが、どうもクラスの人気者だったらしくクラスの生徒のほぼ全員がお見舞いに来ていた。先生からも気にかけてもらっている。友人は多い、親友もいる。いろんなタイプの女子にアプローチされていることを自慢しているのも聞かされたことはあるが半信半疑で聞いていた。一度我が家に副会長の女の子とその友人が遊びに来たこともある。私の友人も兄を見ると好きにならない子がいなかったような気がする。クラスメイトの女子にベッドを取り囲まれている兄。一人はベッドに突っ伏して泣いているようだった。これまでみたこともない変な顔をしている兄に、私は見てはいけないものを見た気分になった。そして私はパシリとしてジュースを買いに行かされる。

 

兄にとって、まさか病院で大好きなアニメの最終回を見ることになるとは思わなかったであろう。兄は夜の静かな待合室で独りで見ていたのだ。面白い順に並べてある本棚の常に先頭にある『うる星やつら』を。私はビデオの録画を失敗しないように家で緊張しながら見ていた。兄は大好きなアニメの最終回と自分の人生の転機を重ねて、今でも感慨深くその時の心境を語る。

 

兄の退院が近づくと、母はお礼の意味で大量の下敷きを買い、いつの間にかクラスメイト全員に配っていた。兄と私は母がそんなことをしているのを知らなかった。兄が登校すると「この下敷き分厚いから団扇代わりに使いやすい」とクラスメイトに言われる。みんな同じタイプの色違いの下敷きを使っていた。