贅沢な休日
仕事の朝はホットミルクティーとオレンジジュースをゆっくり飲みながら、撮りためていたアニメや中国ドラマを観る。飲み物のお供にはパンがいい。休日の朝はホットオレにする。今日はホットオレの日、しかしパンが無いことに気づく。
まあまあ、そんなこともあるだろうと常に買い置きしているミックス粉でホットケーキを焼くことにした。しかし、冷蔵庫を開けるといつもは切らさない卵が一つも無かった。本日、火曜は卵の特売日、ちょうど全部使い切っていた。
しかたなく卵無しでホットケーキを焼くことにした。見た目は卵ありと変わらない仕上がりで、食べると表面はカリッとしてて中はもっちり。どこか懐かしい味だった。母が「やきもち」と言って作ってくれたおやつがあったが、その味に似ている。毎回焦げ目が酷かったが、もっちりしてて美味しかった。兄は貧乏くさいものを食べたがらなかったが、私は「かたくり粉」も「やきもち」も好きで、高齢になったらおそらく「かたくり粉」だけで満足している気がする。
ホットケーキには大分の友人からもらったナッツのはちみつ漬けをたっぷりかけた。美味しい。贅沢な休日になった。今から3月に退職する学生バイトへのプレゼントを買いに行こう。ロングのサラサラヘアには毛量を調整できるヘアピンがいい。毛量が多い私も使用していて非常に便利。あとは職場で撮った写真を現像するのと手紙を書こう。メンバーからは花を、会社からはお菓子でいいだろう。
最近入った、生まれて初めて働いている大学生。こちらにも伝わってくるぐらい緊張している。絞り出す声、汗、震える指、毎日緊張と闘っているみたい。帰宅したらぐったりだろう。しかしこんな子がいるからか、やりたいことしかしないタイプの人までも、もっとできることを増やそうという動きを見せる。何も知らない子の力はすごいのだ。
私も負けてはいられないと、急いでプロポリスのど飴を買いに走り、いつも以上に寒いギャグを連発することに精を出している。
道徳は他人から
他部署での新人いびりの話を聞く。そこでは先輩社員のきつい一言で傷ついて、せっかく入ってくれた人がすぐに辞めてしまうということを繰り返しているという。管理本部では、人の流出を防ぐために退職する本当の理由をもっと親身になって聞き出すと数年前に年度目標で掲げていた。私は今さら何を言ってるんだと思っていたが、やはり結局何もしていないようだ。
私のいる所は新人に対して「あの子は頑固だから」と言ってるのを聞いたことがあるくらいで、一緒に働くメンバーが嫌で辞めるとかは、まだない。たぶん。もしかしたら私が誰よりも頑固だから、私に負けないようにメンバーが一つにまとまっているのかもしれないけれど。
昔、「もっと褒めてほしい」と言われたことがある。かなり年配の人で、意を決して話してくれたようだった。言葉に力を入れているからか、ゆっくりと手を上下に動かす身振りもついていて、私は長く使い込まれた指の関節を見ていた。
この人は常に笑顔で、忙しくてピリピリした職場を明るく和ませてくれる人。しかし、私はその感謝を口にしたことはなかった。褒めることが優先される大切なことだとは思っていなかったからだ。それからは、良いことは口に出すように心がけた。
我が家では筋道を立てて注意をされた記憶がない。というか何か道徳的なことを学んだ記憶がない。社会に出てから他人に教えてもらうことが多かった。高校時代に働いていた当時40才位だったパートのおばちゃんからは結婚祝いまでいただいて、かなりの高齢となった今でも、まだ繋がりがある。学校では学べなかった大切なことを教えてくれた人との縁は切れないものだ。身内では近すぎて悪い所がわかりにくかったり、受け入れにくいことを他人から教えてもらう。私にはあちこちの勤め先で親となってくれた人がたくさんいて、非常に恵まれていた。
だから新人に厳しい他部署の話は残念な気持ちになる。
ハッピーイベント
義理チョコ禁止という社内連絡を受ける。職場の人に義理チョコなんてあげたいと思ったことはない。しかし私が知らないだけで、かなり多くの女性社員は重役の人たちに毎回義理チョコを渡していたようだ。なんのためにそんなことをしているのかわからない。たまたま同期が渡しているところを目撃したことがある。「え⁉チョコ渡してるんだ…私なんて義理チョコ渡すなんて1ミリも考えたことがない」と言うと、その時もらっていた重役の人が「1ミリくらいは考えてもいいよ」と言っていた。そういえば会議の時にお菓子を配る人がいる。だいたい決まっている人。ありがたくいただいているが、もらってばかりでいいのかなと思う。
バレンタインと言えば、定時制高校1年生の時にクラスメイトの子が夜遅い時間に「チョコレートをもらいに来ました」と、家に来たことがあった。兄に追い返されたが、若い行動力、勢いはすごい。しかし、なんて残酷なイベントなんだ。
他者からのアクションを期待するイベントだけでなく、独り身ハッピーイベントもあればいいのに。
普遍的なもの
「できます」「やれます」という人は、とりあえず面接する。理由を聞かれたらどう答えたらいいのか困るが不採用通知を送る。話を遮ってでもアピールしてくる我の強さが、今のここのカラーではないなと思った。しかしそれ以外に、ずっと違和感があった。その時はそれが何かわからなかった。違和感過ぎてか。
あとで証明写真の顔が違い過ぎていることに気づく。まるで別人。皮膚の色から違っていた。写真では色白なのに実際は日焼けサロンに寄ってきたのかと思うくらい。顔の輪郭も写真ではすっきりしていて首があるのに、ないみたいだった。こんなに違うのになぜ気づいてつっこまなかったんだろう。外見では決めたくないけれど、いつの写真か聞けばよかった。
学生枠は一人決まった。繁忙期に合わせてたくさん入ってくれるのはありがたい。仕事が初めてと言ってたが、今いる大学生も初めてで育ってくれたから問題ない。私自身、どうやって育てたのか思い出せないが、半年くらいは「うっせー」と言われるくらい注意していて、仕事が面白くなさそうだなと思っていたら、繁忙期を乗り切ったあとから急にコツを掴んだのか、仕事を楽しめるように変化したのがわかった。一方的な関係ではなくお互いが育っているという感じだった。新しい人からは経験ではなく、人として生きる根本的なものを教えてもらっているような気がする。あとから生まれて来た人との馴れ合いではない関係の中に普遍的なものを見出せると、おもしろいなと思う。
閃き
この世界を理解できるのは
過去の記憶の蓄積のおかげ
相即に埋もれていた転機という閃きは
生と死の狭間で動いている時にやってくる
あっと思いつくことがある
そうだったのかと
それを後でじっくり考えようと
メモを取ろうとするが
手を放すことができない状態
右を見て左を見ようとしている間に消えていく
習慣に埋没していく
打ち上げ花火のような一瞬の閃きが
なぜいつもメモが取れないような時にやってくるのか
あの閃きをもう一度思い起こそうと
あの時の状態を再現しようとするが
その状態が複雑すぎて不可能に近い
外からの刺激に記憶を刻んでいるなら
私は再びくるかもしれない
あの複雑な状態がもう一度つくられることを
期待するしかない