ingakouryuu’s blog

心象スケッチ

与えてくれるもの

 母は名前くらいは書けるはずなのに字がきれいじゃないからか、市役所に行く時は手に包帯を巻いてケガ人のふりをしていた。役所の人も大変だっただろう。母は読み書きや計算ができないことを学校に行ってないからだと言っていた。学校で覚えるものと思っていたのか、勉強しているのを子どもに見せたくないのか自力で覚えようとはしていなかった。私はいつからか世間で言われている「母」と自分の母を比べるのをやめた。

 

 生活保護を受けていることが人間の尊厳を奪っていることに薄々気づき始めた頃、母がわざと向上心を持たないようにしていたのではないかと思うようになった。同じような境遇の人と関わることもない。子どもが幼い時は宗教に傾倒している時期があったが、私の知る限り親友と呼べる人は一人もいなかった。幼い頃、母が隣の部屋の人と取っ組み合いの喧嘩をしているのを間近で見たこともある。一時ではあったが宗教の集まりで知り合った向かいの団地に住むおばちゃんと喫煙仲間になり、お互いの家を行き来するまで仲良くはなったが、喧嘩をしたのか急に会うことはなくなった。

 

 還暦を迎えてからは楽しそうに夜間中学に通っていたが、母の人生は見返りを求めない与えるばかりの人生だったように思える。在宅介護を受けるようになった時には、これまでの煩いがすべて無くなったような穏やかな表情になり、特別養護老人ホームに入ってからは、箸が転がっても笑うような人になっていた。そして、亡くなってもまだ私たちに何かを与えてくれている。