ingakouryuu’s blog

心象スケッチ

六十の手習い

たまたま団地のポストに入っていた夜間中学校の案内チラシを見て、還暦を迎えた母に勧めてみることにした。兄もそれには乗り気で一緒に勧めてくれる。母には友人と呼べる人は一人もいない。プライドが高く頑固な性格だからか、せっかく知り合っても喧嘩別れしてしまう。親戚との付き合いも妹夫婦くらいで、それも仲が良いというよりも母子家庭の心細さゆえに繋がりをもっているだけのようだった。夜間中学校に行けば、字が学べて足し算や引き算を教えてもらえるだけでなく、友人ができるかもしれないと思い、母を説得して一緒に学校の面接を受けることにした。

 

 

母は学校に通うことになる。私は背負える通学カバンを選び、文具類は古風な感じで揃えた。母は筆箱を「いや~懐かしい、柳行李だ」と喜び、大切に使ってくれる。家から学校まで電車で1時間はかかる。ほとんど出かけることのない生活をしていた母が毎日学校に通えるか心配した。しかし、すぐに学びに夢中になって学校に通うのを楽しみ、家に帰ると漢字の書き取りや計算ドリルの宿題をする。こんなに活き活きしている母を見るのは初めてで、夜間中学校を勧めて良かったと思った。

 

 

夜間中学校には母のように学校に行っていない人の他に日本語を勉強したい外国人や不登校で勉強が遅れている人など様々な人がいる。母は差別用語が多い人だから失礼がないか心配した。学校では煙草をどこで吸っていたのかそれも心配だったが、優しい先生や生徒に恵まれたようである。

 

 

学校では遠足や修学旅行が毎年あって母はそれも楽しみにしていた。一度、朝の8時の待ち合わせを夜の8時だと勘違いして、せっかくの旅行に行きそびれてしまい、すごく悔しがっていた。母の生活は昼夜逆転していたから朝の8時は寝始めたばかりである。母は我が子に勉強を教わるのは屈辱だが、先生という職業の人に教わるのは認めていた。将来先生を目指す若い学生が勉強を見てくれる時もあって「可愛いし、嬉しいし、なんか楽しい」と言っていた。母の学習は小学校2年止まりで、友人はできなかったが、在籍できる9年間ぎりぎりまでやりたかったことをやれたことで、晴れ晴れとした気持ちで退学したようである。

 

 

母が学校に通い出してから、私も学習意欲が高まり大学に行くことを考えるようになった。母の学習意欲が私に影響を与えたのだ。