ingakouryuu’s blog

心象スケッチ

我が家のお出かけ

家族で出かけた思い出は泊りがけは一度もないが、遠出の日帰りは二回あった。一つは須磨に泳ぎに行ったこと、もう一つは団地の母の日の催しで「カーネーション旅行」という名の日帰りバス旅行で、まだ母が団地の人と普通に会話ができていたから、私が小学校に入ったばかりの頃だろう。どこに行ったのか忘れたが、旅館の大部屋の窓から見た景色で目の前に緩やかな山があったということだけは覚えている。

 

家族だけでなく近所の人たちと大勢で遊びに行くのが初めてで興奮して、はしゃいでいたが、私は人見知りが激しく、母に始終くっついていた。兄はすぐにリーダーシップをとって男の子同士でどこかに遊びに行く。私はまたバス旅行があるのを楽しみにしていたが、団地の何周年かの無料で参加できる特別記念行事だったようで、これが最初で最後のバス旅行だった。

 

小学校低学年までは年に二回くらいは近くの遊園地や動物園に連れて行ってくれた。 機械など触らない母がいつの間にか買っていたカメラを片手に手を振り、大声を出して、笑いながら私たちを撮る。出かける時は少しいい服が着れるのも楽しみの一つだった。髪の毛もツインテールに可愛く結ってくれる。

 

高学年になると遊園地ではなく、三越の屋上のゲームセンターに隔月で遊びに行く。母が百貨店で何かを買っているのを見たことはない。手ぶらで行き、手ぶらで帰る。ゲームセンターではたっぷり3時間くらいは遊ばせてくれる。その間、母は隅に置かれた長椅子でずっと煙草を吸っている。

 

とりあえず千円をもらい兄と私は好きな機種で遊ぶ。お金がなくなると母にそのつどねだっていたが、三千円以上は使わせてくれていたと思う。私は「金が無い」という母の日頃の口癖が気になり散財することを心配してあまりねだらないが、生活保護児童扶養手当の支給額を知っていた兄は遠慮しなかった。

 

帰りは5階のファミリー食堂で夕食をする。母はだいたいかつ丼で、兄は一品ではなくスープ、ハンバーグ、デザートとここぞとばかりに注文する。私は食べるのが遅いから、いろいろ楽しめて量が少ないお子様ランチが食べたいというが、もう大きいからダメだと言われ、しかたなくオムライスにする。食事が終わると兄がでかい声で「腹減った~」といい食堂を後にする。母は「いいかげんにしろ」というが、兄から満腹という言葉を聞いたことはない。1階のマクドナルドでも食事をしたことはあるが、当時は高級な特別感があった。

 

この頃、母は近所の人と会話をすることもなくなり、私は周囲の大人の視線に不気味さを感じつつあった。