ingakouryuu’s blog

心象スケッチ

曼殊沙華③

私が3回生になる頃、院生二人の共依存関係に変化が起きる。長く暮らしていた借家はそのままにして、女性がもう一つ部屋を借りて生活の拠点をそこに移したのだ。仲が悪くなったというわけではない。依然として連絡は取り合っていたようだ。その頃、私はバイト先で知り合った中国人留学生や在日韓国人の人とよく遊んでいたため、院生の二人とは以前に比べて頻繁に会うことがなくなっていた。

 

 

ある日、学校から帰ると留守電にポチさんからのメッセージがあったので再生すると、途切れ途切れで聞き取りにくく、最後に亡くなったという言葉だけがやっと聞こえたぐらいで、何を言っているのかよくわからない。とりあえず直接電話をして確認すると、彼女が新しく借りた部屋の中で最近付き合い始めた男性と喧嘩をして勢いで灯油をかぶり、ガスコンロの火に近づき、炎が顔を覆い、煤が喉に詰まり、窒息したと、明日が告別式だという。突然のことで信じられなかったが、翌日バイトを早退させてもらい現地に向かった。

 

 

告別式は急ごしらえで、故人の遺影も小さなスナップ写真がそのまま使われていた。最近の写真を探すのに苦労したと母親は言っていた。彼女の顔は母親似だった。棺の中の彼女は火傷痕が目立たないようにきれいに化粧が施されている。気道確保のために切開された傷もわからない。告別式には喧嘩をした相手の男性とその家族も来ていたが、彼女のご両親が式場に入ることを許さなかったため外で見てるだけだった。学生や仕事仲間だろうか、かなりの人が集まっていた。あの猫六匹飼っている人もいた。一人一人彼女に声をかけて花を置いていく、棺の中に好きだったお酒も入れる。最後に母親が真っ赤な彼岸花を棺に入れる時「どうか皆さん、彼岸花を見たら娘を思い出してください、娘を忘れないでください」と言い、泣いていた。それ以来、彼岸花を見ると思い出さない日がない。

 

 

火葬場に移動する時、数台の車が用意され、特に親しい人が乗れるだけ乗って行くことになった。私は2年くらいの付き合いなので遠慮していたが、ポチさんに手を引っ張られて車に乗る。人が火葬された後の姿を見るのはこれが初めてである。まだ二十代という若さのせいか真っ白なきれいな骨だと思った。ポチさんは骨を見た瞬間、立っていられないショックを受けてふらふらと後ろに倒れそうになり、どうにかこらえている様子が見ていてどきどきした。母親は娘の骨を拾うと、財布に入れて持ち歩いてほしいと渡そうとするが、私は重くてとても受け取れなかった。他の人は沖縄旅行を楽しみにしていたから沖縄の海に散骨すると言って持ち帰り、ポチさんは茶封筒に手の指の骨を特に集めていた。