ingakouryuu’s blog

心象スケッチ

それでも生きること

私が定時制高校に通っていた時、半年間ではあったが、ビルメンテナンス業をする会社に勤めていた。そこでは朝礼で毎回、松下幸之助PHP選書を読み、感想を言い合い、最後に社長が注釈するということをしていた。その中で今でも心に残る話がある。それは火事で家が全焼しても運が良かったと思える前向きな気持ちについての話だった。

 

私の仕事は午前中は社長宅の掃除と夕食の準備、午後からは事務作業の他に予備校や病院の清掃をしていた。退職後もそこで学んだことは立ち戻るべき出発点になっている。

 

8年前、産業会館の写真と押し花の展示案内を偶然見て、社長と専務だった奥さんの名前を見つけた。22年ぶりの再会にどきどきしながら展示会を見に行くと、ご夫婦ともに22年前と変わることなくお元気で、当時の面影そのままだった。二人とも私に会えたことを懐かしみ大変喜んでくれたが、当時部長だった息子さんの話をすると顔色が変わっていく。

 

息子さんが交通事故で亡くなったと聞き、こんな大きな悲しみとどうやって向き合っているのか考えただけで頭が真っ白で何も返す言葉が見つからなかった。しかし、目の前にいるお二人は丹頂鶴の保護活動に力を入れたり、押し花で素敵な作品を作ったりと活き活きと生きている。前向きに生きることの尊さと人との縁の大切さを感じずにはいられない。

 

 

 

 

ここで私の簡単な仕事歴を紹介すると、中学校で紹介された製作所(2か月)→定時制高校の友人と一緒に探して決めた工場(2か月)→同じ友人と知り合いのいる工場へ(2か月)→職安で探したビルメンテナンスの会社(半年)と並行して寿司チェーン店(半年)→ガソリンスタンド(2か月)→定食屋(1年半)→夜間工場(6年)と並行して製作所(半年)コーヒー専門店(半年)カフェ(1年)クレープとジェラート店(半年)→日本茶売店(4年)、並行してマクドナルド(1年)コンビニ(1年)→印刷会社(2年)→フレンチレストラン(8か月)→パン屋(3年3か月)→この間に3社(4年程)を経て現在に至る。中学校を卒業してから無職が一週間以上続いたことはない。