花の記憶
先月、母が亡くなった。
「亡くなる」という表現はどうもしっくりこない。
棺の中を覗き込んでも母が死んでいるとは思えなかったが、
硬くて冷たい手に触れた時、肉体を使った電気交流ができなくなっていたからか、
何も伝わってこなかった。
そこでようやく肉体が死んでいると思った。
しかし母が死んでいるとは思えない。
これが母だとどうやったら思えるのだろうか。
母を形作っていた入れ物が亡くなったというほうがしっくりくる。
美しく咲き誇った花が散るのも後ろから押してくる力があるからだと考えていたが、その力が何かを母によって気づかされた。後ろから押してくる力とは先に散った花の記憶ではないか。
花の記憶が一体何か、どんな影響を与えて生命が循環していくのかをこれから考えていくためにブログを始めることにした。
火葬後、亡骸の横には灰になった蘭がきれいな形そのままに寄り添っている。驚いて傍にいるスタッフに花がそのままの形で残ることなんてあるんですねと言うと、ありますよと答えてくれたが、その時にはもう灰の蘭は崩れ落ちて影も形も無くなっていた。僅かな空気の揺れで消滅するようなぎりぎりの状態だったのだ。消滅する前の奇跡のように美しい灰の蘭は母からの贈り物だったのかもしれない。