ingakouryuu’s blog

心象スケッチ

木村先生

 

お盆の連勤中、相方から木村敏の訃報を聞く。知りたくなかった。私にとって木村敏は人生を最も充実させるきっかけをくれた人。

 

初めて会ったのは『ゲシュタルトクライス』の原書講読の授業だった。客員教授の木村先生の教室には15人位の受講生がいた。主に院生だったが、看護師の社会人学生に潜りの非常勤講師もいた。

 

翻訳を割り当てられることもあった。辞書を片手に何時間もかけて翻訳をするが、何度読み返してもまるで意味がわからない。ドイツ語の先生に聞いても『ゲシュタルトクライス』は医学書のため、専門用語が多くて難しいと言う。

 

「criseは来るものですか、行くものですか」。教室に響く私の声。意欲的な生徒が多いはずなのになぜか誰も質問をしない。ガンガン質問する私に先生が喜んでいるのはわかった。講義の最終日、近くの店を貸し切って生徒全員でお茶をすることになった。仕切っていたのはゼミの先生たちだった。店に着くと木村先生を囲むように席順が決められる。そこでも私は物怖じすることなく質問をした。「木村先生はこれまで書いてきた論文の中で、後々思い違いがあったという転機はありましたか」と聞くと、先生は「ない」と即答した。そこで私は独り言のように、しかし結構なボリュームで「転機なしか!」と言い放つ。『ゲシュタルトクライス』とは転機なしでは語れない医学書であり、翻訳者は木村先生。その木村先生に転機がないという矛盾にその場にいた生徒もこらえきれずに吹き出す。しかし一番笑っていたのは木村先生自身だった。持ち上げたカップのコーヒーがこぼれるほど笑っていた。

 

最後は木村先生の車が見えなくなるまでみんなで手を振って見送る。木村先生から日独文化研究所においでと言われたけれど、私は一度も行かなかった。何か、もう十分に満たされていたから。

 

私の父親と同じくらいの年齢だった木村先生。

ありがとうございました。